画面中央にいる動物は、フォッサという動物です。この動物は、マダガスカル島に生息する唯一の肉食動物で、小物や家畜などを食べてしまうことから、別名「森の悪魔」と呼ばれています。しかし、この動物は、悪者ではなく、ただその島では、肉食動物が他に生息しなかったため、人間から見れば、悪者となってしまったのです。フォッサは、本能のままに生きていただけだということです。私は、そんな「森の悪魔」に興味を抱きました。この作品では、谷底でじっくりと自分と向き合い、孤独な試練を味わうフォッサと、そのうえで出てくる充実感や可能性を、周りに飛ぶ花で表現しています。この花は、後に描くことになる「想花」の原型です。
2001年9月11日、米同時多発テロの映像が突然テレビから流れました。この作品は、とても現実に起きたとは思えないこの事件がモチーフです。当時、私はギャラリー手での初個展を目前に控え、新作をどうしようかと考えていました。そんな矢先、飛行機が、武器となり建物を破壊する瞬間を見て、個展のことで頭が一杯になっていた私は、急に気持ちが冷めて、それまで作ってきたものが、一瞬、色あせ、個展で頭が一杯になっていた自分が、なんだかとても小さく感じたのでした。この感覚を描いたのが、この作品「最初の家族」です。いつもは、私の内面から発生するものを表現していましたが、この時は、自分の外部で起きた、あまりの衝撃的な事件にどう自分の中で、立ち向かい表現したらよいかを考えました。この作品には、キミドリ色もピンク色もありません。モノクロームの世界。最初に、地球上に、家族が出来た時のことを想像して描きました。まだ何もない地平に、家が一軒建ち、そこに飛行機が向かってきています。希望と絶望に満ちた未来社会を暗示するものとして飛行機を描きました。最初の家族、そこから、また新しい家族が生まれ、今のような世界になったのだとしたら、はじめは、皆、同じ家から出てきたということです。たくさんの人々が生活していく中で、自分と他人や、自国と他国など分けて考えることが多いですが、「お互いの違いを穏やかに認め合う方法を見つけたい」、そんな気持からこの作品が生まれました。
この作品は、幅20メートルある帯状の作品です。「最初の家族」のシリーズとして制作したものです。最初の家族から次々と家族が増えていく様子を表現しました。どこまでも増えていくことを予感させるために、かなり長い作品になっています。より原始的に見せるために、麻布の素材を使用し、その上に、紙に家を書いて貼り付けています。次々と生まれては、なくなって行く様子を表現するために、あえて、貼り付けることにしました。「最初の家族」での、白色のなだらかな地平から少し進んで、キミドリの起伏のある大地に、家族が次々と誕生する様子を絵にしました。
ピンク色は、この作品で初めて使いました。キミドリが、私の創造する部分を意味するならば、ピンクは、私が暮らしている現実の世界、日常という意味で表現しています。色としてキミドリと補色関係にある色を選びました。2002年のカサハラ画廊での個展を前に、大学での自己完結型の研究という場から、人に見せるものとしての作品を制作することに、作家としての責任というものを自覚しはじめ、現実にどう自分の作品を展開させていくべきかを模索していた時期でもありました。現実と創造。それは、私の中で、まだまだ一致するものではなく、ピンクの空間のなかで、黒豹は、どう動けばよいのかと考え、あたりを非常に警戒しているという気配です。あまりのピンクの世界の強烈さに、黒豹の目は攻撃的に鋭く光り、瞳孔は小さくなっています。この描写が、画面に一層の緊張感を与えていると思います。まだ現実にはっきりとした存在感のない黒豹の体は、ピンクが透けて見え、今にも消えそうな状態ですが、必死に何かをつかもうとしている感じです。
この作品「二匹の黒豹 200」では、同じように現実にぶつかり、直面している自分とは別の存在を発見した瞬間を描いています。「二匹の黒豹 80」では、その他者の存在には気がついていませんが、「二匹の黒豹 200」では、しっかりと他者の存在を意識し、こんなところにも、同じような存在がいたのかといった驚きと、ピンク色の世界で同じように戦う存在をみつけた喜びによって、少しずつ力強さが出てきた黒豹を表しています。